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- 長左衛門新田(近世)とは
「長左衛門新田(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 長左衛門新田(近世)
江戸期の村名駿河【するが】国志太【しだ】郡のうち黒石川流域に位置したと思われる田中藩領村高は,「元禄郷帳」418石余,「天保郷帳」433石余天保年間以後小川【こ...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7351231]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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長左衛門新田(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長左衛門新田(近世) 江戸期~明治22年の新田村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長左衛門新田(近世) 江戸期~明治6年の新田村名県東部,綾瀬【あやせ】川左岸の台地に主として位置する埼玉郡岩槻【いわつき】領のうち岩槻藩領地名は本宿村の中島長左衛門が開いたことによる岩槻宿4新田の1つ村の規模は東西・南北ともに8町余化政期の家数14軒,弘化4年の家数14軒・人数78安政5年には反別12町3反余,ほかに藍瓶役鐚200文(柳沢家文書)明治4年埼玉県に所属同6年平林寺村に合併現在の岩槻市大字平林寺のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」