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- 堀内(中世)とは
「堀内(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 堀内(中世) 鎌倉期に見える地名足利荘のうち仁治2年2月日の足利義氏下文(鑁阿寺文書/県史中世1)に「足利御庄公文所……堀内御堂」と見えるまた,大般若波羅蜜多経第400巻(鑁阿寺蔵)の奥書に「建長六年甲寅後五月廿弐日巳時 於下州足利庄堀内也」と見える堀内とは文字通り周囲に堀を巡らした場所を意味し,居館または城郭を意味するが,当堀内は足利氏のそれである保元の乱において功のあった足利義康の第3子義兼は,堀内(邸宅内)に持仏堂を建立したのちの鑁阿寺である鑁阿寺に現存する天福2年銘の棟札写に「奉做起方五間大日如来大殿一宇」とあり,天福2年に大御堂が建立されたことがわかるしかし,寺伝では文治5年に足利義兼の開基というしたがって天福2年銘棟札写は鑁阿寺の修理を物語る史料とも解釈できる最近では鑁阿寺の草創を足利氏の父祖,義康時代の持仏堂まで遡り得る古刹とする見解もある中世における館跡の遺構が比較的良く保たれており,足利荘支配の中心として公文所が設けられていたことも注目できる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堀内(中世) 南北朝期に見える地名豊後国速見【はやみ】郡八坂【やさか】下荘中村薬丸名のうち八坂川の下流域右岸,現在の杵築市大字中・相原・日野のうちと思われるが比定地未詳康永3年7月6日の八坂下荘中村内忠氏知行分坪付注文案に,薬丸名内の畠地分の中に,「□(一)所参段 堀内本政所」とあるのが初見無年号の同内容文書(ただし後半を記さず,仮名書き)には,「一所三反 ほりのうち〈もと まんところ〉」とある(秋吉文書/大友史料6)つまり前者の「本政所」とあるのは,堀内の注記であることがわかる堀で囲んだ荘園政所があり,堀の内の地名が起こったものと思われる「もと政所」が,地頭屋敷と預所屋敷のいずれを指すかは未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堀内(中世) 室町期に見える地名相模国小坂郡のうち永正6年11月20日の幸春(長尾顕忠後室)寄進寺領注文に「相模国小坂郡長尾郷之内田畠所ニ……金井村堀内分ふミ出内 一,よこまくり田三反 代銭壱貫文」と見え,当地域は長尾顕忠後室幸春が「ほたいのためにこんりういたし候」という条件で円覚寺塔頭竜隠庵に寄進したものであった(竜隠庵文書/県史資3下‐6482)なお,同年月日の幸春寄進寺領小作注文(同前6483),および同年月日の幸春寄進寺領注文(同前6484)にも同様の記載がある堀内の中には,よこまくり・さいかち・出口・原畑・広町などの地名がみえている(同前)現在の横浜市戸塚区金井町・飯島町にかけての地域に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堀内(中世) 戦国期に見える地名高野郡石井郷のうち永正7年7月吉日の結城政朝寄進状(八槻文書/県史7)に「山菅生湯川在家并石井郷堀内」の地を近津大明神に社領として寄進している中通り南部,現在の塙町大字上石井のうちに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堀内(中世) 鎌倉期に見える地名... |
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堀内(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堀内(中世) 室町期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堀内(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」