ケータイ辞書JLogosロゴ 増田村(近世)


静岡県>掛川市

 江戸期〜明治8年の村名。佐野郡のうち。はじめ山内氏領,のち掛川藩領。東海道に沿うところを大鋸【おおが】町という。村高は,文禄2年の検地では233石余(掛川市誌),「元禄高帳」237石余,「天保郷帳」258石余,「旧高旧領」256石余。「掛川誌稿」によれば戸数60・人口269。稲作を主とし五穀のほか野菜を栽培。用水は溜池を利用。農間余業に男は山稼・わら細工,女は木綿・葛布などを織った。助郷は東海道掛川宿に出役。社寺は神明宮・白山社・曹洞宗慶林斎・同宗大学院。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県を経て同年11月浜松県に所属。明治8年馬喰【ばくろう】村・道脇【どうわき】村と合併して葛川村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7353022
最終更新日:2009-03-01




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