- JLogos検索辞書>
- 宗高村(近世)とは
「宗高村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
宗高村(近世) 江戸期~明治11年の村名三河国設楽【したら】郡のうち承応3年の新切帳では宗高町と見える豊川中流右岸慶安元年下平井村から分村して成立同年鳳来寺に東照宮を造営するため,信州街道筋の新道が改築され,人馬の往来が激しくなって戸数が増加したことにともない,新道筋の当地が分村独立したものはじめ幕府領,慶安2年からは旗本新城【しんしろ】菅沼氏知行村高は,「元禄郷帳」10石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに60石余享保10年の高反別家数牛馬数書上では高60石余,ほかに新畑5町余,家数56・人数218,牛馬6同20年の家数29,また同年50棟が焼失する大火があった(東郷村沿革誌)寛文2年創立の曹洞宗福住寺がある明治11年南設楽郡に所属同年平井村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」