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横山村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7353792]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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横山村(近世)

 江戸期~明治22年の村名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

横山村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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横山村(近世)
江戸期の村名小城【おぎ】郡のうち鬼ノ鼻山東北部山腹に位置する山間集落佐賀本藩領下多久郷に属す村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」はともに35石余,「天保郷帳」では58石余,「旧高旧領」には見えない「玄梁院様配分帳」では多久伊豆が地米高240石を知行する「宝暦郷村帳」では小村として立上リ村の名が見えるが,「天明郷村帳」では当村名・小村名ともに見えない享保6年の田32町余・畑14町余,屋敷5町余(多久の歴史)「丹邱邑誌」によれば,文政6年の戸口は76戸・293人,馬21・牛7鎮守は熱田大明神「丹邱邑誌」によれば,同社は尾張国名古屋城築城の際に動員された杣人が名古屋在住中に尾張熱田神宮を尊崇し,帰村後に建立したものといわれる寺院には曹洞宗仙柱山大梅寺は万治2年の創建で,もとは梅光寺と称したが元禄2年に改めた文政11年の大風で倒壊したが,再建される物産として櫨がある雨ケ瀬にまつわる伝承が「丹邱邑誌」に「雨ケ瀬ト云処アリ上古大浪上リシトキ尼ノ死骸流付タル故名付ト村人ノ説アリ」と残る「明治7年取調帳」では1村として見え,枝村に下鶴村・東ノ原村・西ノ原村・中多久村の名が見えるが,「郷村区別帳」では多久町村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば,多久村のうちに「横山村」と見え,戸数71・人口293...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

横山村(近世)
江戸期~明治6年の村名伊那郡のうち天竜川の支流,小沢川と小黒川の間に広がる山麓の台地に位置する西は木曾高遠【たかとお】藩領西伊那部村の一部郷帳類では西伊那部村にまとめられているが,「県町村誌」によれば,享保20年西伊那部村は荒井村と西町村に分かれ,寛延元年荒井村から平沢横山村と小沢村が分村,慶応3年平沢横山村が平沢村と横山村に分かれた寛延元年荒井村から村分けの際,平沢横山村の高は186石,その後,開田によって199石となり,慶応3年平沢村・横山村の村分けでは106石となっている(荒井区六十年の歩み)「伊那西郷土誌」によると,元禄検地の時の戸数18文化8年の西伊那部村書上(同前)では,荒井村枝村として横山村40軒とある元禄9年の権兵衛峠開道により,横山村からも木曾へ米の付出しが行われたが,横山の問屋源蔵の御津出米送状によると,元禄10年の423俵をはじめとして,文久3年の2,198俵まで,文政7年の2,827俵を最高として多量の米の移出が見られる(上伊那誌)地内の寺社平は応永6年常円寺が創建された旧地で,文亀元年天竜川東の境内に移転,今もその礎石が残る春日神社は子安社ともいわれ,西町村の春日神社は同社から分祀された鳩吹城跡もある明治4年高遠県を経て筑摩県に所属同6年西伊那部村に復する...

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横山村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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横山村(近世)
江戸期~明治9年の村名出羽国由利【ゆり】郡のうち芋【いも】川下流の東岸に位置し,もと内越【うてち】郷のうち本荘市福山字横山の地域に当たる慶長7年~元和8年最上氏領(楯岡豊前守代官支配),同8年本多正純領,同9年から本荘藩領「由利郡中慶長年中比見出検地帳」に内越郷横山村と見えるのが初見「正保国絵図」には当高54石余とある元禄11年「村高帳」では高57石余,「元禄7郡絵図」でも同高,「天保郷帳」には横山村71石余・横山新田村43石余とあり,新田開発が進められていたことを示す正徳2年から六郷領4か村と岩城領10か村の間に真木【まぎ】山の入会権をめぐって大論争が起こり,その解決は明治まで続いたが,当村は六郷領4か村の中に含まれた村鎮守は大日靈神社年代は不明であるが,岩倉館の由利氏の勧請というまた現在本荘市内黒瀬にある曹洞宗白鳳山恵林寺は,当初内越左近が菩提寺として館脇【たてわき】(横山)に建立したのが,寛永12年内越左近退転のため,畑谷【はたや】村に移転し,以後三転して嘉永6年に現在地に建立されたという(わがふるさとの歴史)明治9年福田村・長者屋敷村と合併して福山村となる...

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横山村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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横山村(近世)
江戸期~明治12年の村名頸城【くびき】郡のうち尾神岳の西方山麓地名の由来は,立地によると思われるはじめ高田藩領,天和元年幕府領,文化6年からは高田藩領村高は,「慶長国絵図」86石余,「正保国絵図」209石余,「天和高帳」235石余,「天保郷帳」240石余天和検地後とみられる国田組村々明細書上帳によれば,反別は田16町余・畑7反余・山林10町余,青苧畑15歩,漆木73,家数21・人数171,馬9(中村家文書)刈羽郡への出入口として口留番所が置かれた地内は地滑り地帯のため流泥が江筋に混入し,田に与える被害も甚大であった字白早稲田を流れる江筋木入場の敷樋への土砂流入も甚だしく,これを防止するため江筋を埋樋にして通水を可能にしようとするのが村方の悲願であった寺院は浄土真宗本願寺派石仙寺・曹洞宗観音院神社は八幡・稲荷・若宮・諏訪・秋葉の5社大出口の水源を祀る水源祭は7月25日明治12年東横山村と改称,あわせて中頸城郡に所属...

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横山村(近世)
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