ケータイ辞書JLogosロゴ 和田村(近世)


静岡県>伊東市

 江戸期〜明治20年の村名。伊豆国賀茂郡のうち。はじめ幕府領,延宝8年相模国小田原藩領,天明5年石見国浜田藩領,寛政4年再び幕府領を経て,文化8年旗本本多氏・大久保氏の相給となる。村高は,文禄3年の検地では200石余(伊東市史),「元禄郷帳」183石余,「天保郷帳」206石余,「旧高旧領」184石余。文禄3年の戸数126・人数560。元禄14年の大津波により,宝永7年には戸数76・人数430,馬11となる。米のほか茶・ミカンなどを栽培し,茶運上・蜜柑年貢も定納。元和7年の起間帳によれば,2代目名主下田新左衛門のとき,竹之内村へ出作し,出作地に湧出する温泉に湯小屋を設けたという。3代目名主新左衛門のときには延べ120名が竹之内村の開墾に従事し,岡村へも出作している(伊東市史)。源泉付近は湯焼地であるため年貢の減免を願い出ている。江戸末期頃から旅籠屋もできていた。助郷は東海道三島宿へ出役。また,東浦筋の道普請や酒匂川架橋なども負わされた。神社は神明宮・熊野神社・八幡神社・稲荷神社,寺院は日蓮宗仏現寺・同宗仏光寺・同宗妙法寺・同宗大行寺・同宗妙昭寺・同宗広宣寺・同宗妙隆寺・同宗蓮正寺・同宗法船寺・浄土宗浄円寺。明治元年韮山県,同4年足柄県を経て,同9年静岡県に所属。明治20年竹之内村と合併して玖須美村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7353930
最終更新日:2009-03-01




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