ケータイ辞書JLogosロゴ 饗庭御厨(中世)


愛知県>吉良町

 平安末期〜室町期に見える御厨名。三河国幡豆【はず】郡のうち。伊勢神宮(外宮)領。「中右記」長承元年11月4日条に「参河国饗庭御厨内,字角平寺島郷事」と見え,代々の国免地で永久3年宣旨により御厨になったとある。「玉葉」承安2年11月5日条によれば外宮内部で当御厨をめぐる争論があった。建久3年8月の伊勢大神宮神領注文には「饗庭御厨〈外〉,給主散位源国長」とある(神宮雑書/鎌遺614)。承久の乱後に地頭が置かれたらしく,正中2年とみられる度会行文処分状写に,地頭の年々の押領が莫大であるので給主方田地の4分の1を中分して地頭に渡したとあり(鏑矢伊勢方記),康永3年神宮祭主大中臣親忠下文によれば,弘安年間に先地頭善願の年貢抑留を鎌倉に訴えたとある(同前/大日料6‐8)。延元4年10月4日の神領給人引付に所当9石(三河国古蹟考/同前6‐5),「神鳳鈔」には「見作三分一,所当内七石五斗,上分残口入」と見える。なお同書では角平は御厨となっている。康永3年当御厨をめぐる争論が起こった。「師守記」貞和5年12月条紙背文書によれば,康永3年正月29日当事者松若丸と藤原氏女の召喚が通知されており,これとの関連は不明であるが,前述の同年8月3日神宮祭主大中臣親忠下文では当御厨得分をめぐる権禰宜繁行・行章の争論で繁行勝訴の判決が下されている。下って応永2年10月28日,神宮禰宜度会行嗣から子息権禰宜定庭へ譲られた所領財物のうちに「三河国饗庭御厨得分物〈松木方ヨリ支配〉」が見える(櫟木文書/同前7‐2)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7353966
最終更新日:2009-03-01




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