ケータイ辞書JLogosロゴ 青野荘(中世)


愛知県>岡崎市

 平安末期〜鎌倉期に見える荘園名。三河国碧海郡のうち。立荘の時期は未詳であるが,尾張国目代藤原季兼の兄弟の季綱が三河守であった頃が最有力か。三河国で国守主導により立荘された荘園の1つ。「後二条師通記」寛治5年11月13日条に「青野庄」と見え,摂関家領であった。前任の国司が任終に免判を出してきたために,新任の国司高階敦遠から追求を受けている。同書同7年4月23日条に「青野下庄免判」のことが見えているので,すでに上・下の区別があったか。鎌倉初期頃とみられる年月日未詳の大神宮神主牒は「三河国青野・志米(貴カ)両庄」にあてて,伊勢神宮の神人恒則とその妻子らを買得と号して召し籠めている助安・久元らの所為は不当だといっている(神宮雑書/鎌遺1538)。青野荘か志貴荘でこの事件が発生したためである。青野荘の名はその後の史料に見えず,碧海荘の上青野郷・下青野郷として鎌倉後期に現れるから(親玄僧正日記永仁元年8月2日条/埼玉県史資料編7,永仁3年8月日碧海荘米配分状案/鎌遺18898),当荘園は碧海荘に吸収されて消滅したのであろう。近世の上青野村・下青野村を中心とする地域にあたる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7353981
最終更新日:2009-03-01




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