ケータイ辞書JLogosロゴ 青野郷(中世)


愛知県>岡崎市

 鎌倉期〜戦国期に見える郷名。碧海郡碧海荘のうち。平安末期〜鎌倉初期には摂関家領青野荘の中心地域だったが,青野荘が消滅したために碧海荘の郷となった。14世紀初頭成立の瀧山寺縁起に瀧山寺の法華堂へ青野の料田2町が伊勢前司藤原俊継の秘計で足利尾張入道(家氏)から寄進されたことが見えている(瀧山寺文書/岡崎市史6)。承久の乱後に碧海荘の地頭となったのは足利義氏で,斯波氏の祖となる家氏が地頭職を譲られていたと思われる。すでに永仁年間に上青野郷・下青野郷が見え,青野は2つの郷に分かれていたことになるが,中世後期までは単に青野郷と呼んでいることが多い。文明6年の蓮如御文に「青野ノ八郎左衛門入道真慶」と見え,吉崎まで出かけて蓮如に会った熱心な真宗信者があった(蓮如一向一揆)。上青野に松平義春の居城があった(三河国二葉松)。義春は長親の子で東条松平家の祖である。永禄9年5月21日の松平家康判物写に「青野郷内小栗分買徳方五百疋之田地」を大樹寺昇蓮社進誉上人に寄進することを領掌するとあり,宛所が石川家成であるからこの頃は家成の領地であった(大樹寺文書/岡崎市史6)。年未詳5月16日の本多正信書状に岡崎の松平念誓の召使いが上青野・下青野にそれぞれ1人いたことが見えている(松平甚助指出古文書/同前)。江戸期の上青野村・下青野村にあたる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7353982
最終更新日:2009-03-01




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