ケータイ辞書JLogosロゴ 青山荘(中世)


愛知県>豊山町

 鎌倉期〜室町期に見える荘園名。尾張国春日部郡のうち。永仁6年12月5日の大和西大寺田園目録に「尾張国青山庄 年貢代銭五貫文」と見える(西大寺文書/鎌遺19893)。同文書によれば,正応元年11月9日鳥羽院勅願の十一面堂本尊を四王院に安置した際,灯油仏聖料田および最勝王経講讃中僧食料として施入された5荘園の1つであった。西大寺領としての経過は以後未詳。室町期には,室町幕府御料所となっている。「親元日記」寛正6年4月7日条によると,「上様御料所尾州中島保之青山庄」は,勘料段銭が免除されたにもかかわらず,下知以前にことごとく放火され,2,3か所に守護代使が乱入し,屋内雑物以下を押取られた事が記されている。同書によれば,当荘は当時中島郡に属していた可能性がある。なお,「康正二年造内裏段銭并国役引付」には「尾州青山」の段銭2貫516文が,大内五郎によって納められたとある(群書28)。その後戦国期の天正11年と推定される正月24日織田信雄判物に「青山」と見え,信雄は上洛するにあたって生駒氏以下5名の家臣に諸公事の糺明を命じている(生駒陸彦氏所蔵文書/一宮市史資料編6)。「信雄分限帳」には,佐々権左衛門の知行地350貫文と佐々孫助の知行地200貫文の2か所が「青山ノ郷内」と記されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7353986
最終更新日:2009-03-01




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