ケータイ辞書JLogosロゴ 赤坂宿(中世)


愛知県>音羽町

 鎌倉期〜戦国期に見える宿名。三河国宝飯【ほい】郡のうち。「本朝無題詩」に載せる中原広俊の詩に「参河国赤坂」の口髭の多い傀儡女のことが見える(群書9)。遊女や雑芸人が集う場所,すなわち宿駅としての発達がうかがえる。東海道宮地駅家の衰微に伴って,その機能を継承して発展したと考えられる。貞応3年の「海道記」に「赤坂ノ宿」,仁治3年の「東関紀行」に「赤坂といふ宿」(同前18),「源平盛衰記」に「赤坂宿」が見え,いずれも三河国司大江定基が出家発心する動機となった宿の遊女力寿のことを書き留めている。「経覚私要鈔」応仁2年条の京都〜鎌倉間の宿次第に「山中五十丁 赤坂二里 渡津一里」と見え,中世を通じて東海道の宿駅としての機能は失われなかった。大永3年4月11日の伊知多神社棟札銘に「番匠大工赤坂郷五郎左衛門」とあり,職人の集住も見られた(豊川市史中世近世史料編)。天正15年9月1日の上宮寺末寺割付帳に「四百文 赤坂」とあり,上宮寺末の真宗道場があった(上宮寺文書/岡崎市史6)。吉田城主池田輝政は「参州赤坂町中」に対して同19年6月に伝馬定書を発し,従来通り伝馬を認めて毎日馬46疋と定めている(平松文書/豊橋市史5)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7353998
最終更新日:2009-03-01




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