ケータイ辞書JLogosロゴ 赤坂村(近世)


愛知県>音羽町

 江戸期〜明治22年の村名。宝飯郡のうち。幕府領。村高は,「寛永高附」898石余,「元禄郷帳」894石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに898石余。幕府の代官陣屋(遠江国中泉陣屋赤坂出張陣屋)が置かれ,三河の幕府領を支配した。明和7年の村差出帳に高733石余・面積62町余(田48町余・畑13町余),ほかに新田として高130石余・面積13町余とあり,家数378・人数1,413,本陣3,脇本陣1,旅籠60余,奉公人は下男103・下女110。宝永6年の大火で360余戸のうち280余戸が焼失し,そのため幕府に対し夫食拝借を願い出て405両を借りている(音羽町誌)。米麦のほかに野菜や綿を作る。宮道天神社の8月の例祭にはおいらん道中が,また杉森八幡社の10月の例祭に大名行列が行われる。ほかに関川神社・稲荷社・阿口社がある。寺院には真宗正法寺,浄土宗長福寺・浄泉寺,ほかに竜泉院・向称寺がある。明治元年三河県庁が置かれた。同5年の宿駅制度の廃止,同21年東海道線の敷設を忌避したことなどにより,江戸期の繁栄は急速に衰退した。同22年市制町村制施行による赤坂村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354000
最終更新日:2009-03-01




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