ケータイ辞書JLogosロゴ 赤坂宿(近世)


愛知県>音羽町

 江戸期の東海道の宿場名。宝飯郡のうち。慶長6年赤坂村に人馬継立の業務が命じられたが,その時下付された伝馬朱印状には「赤坂」「五位(御油)」と併記され(東海道御油赤坂宿交通史料),2宿で1宿分の業務を分担したと考えられる。西隣の藤川宿までは2里9町だが,東隣の御油宿まではわずか16町と近い。延宝8年の差出によれば,町並みの長さ8町30間,戸数329・人口1,724,本陣・脇本陣計4軒(平松彦十郎・伊藤庄左衛門・平松弥一左衛門・清水市三郎),旅籠62軒(音羽町誌史料編)。元禄5年の1年間の人馬継立は,上り・下りで人足1万7,212・馬数2万6,524(中立人馬之覚)。宝永4年の1年間の宿泊人数1万3,076,与力・同心などを除く9万7,303人分の勘定は銭101貫355文(赤坂宿亥年中泊集銭勘定目録)。明和7年の赤坂宿宗門帳によれば,人口1,413人(男672人・女741人)のうち下男103人・下女110人で,下女の多くは旅籠の女中兼飯盛女と推定される。「御油や赤坂・吉田がなけりゃ,なんのよしみで江戸通い」とうたわれたように,当宿は御油や吉田(豊橋)とともに歓楽地であった。関川神社境内には松尾芭蕉の「夏の月御油より出でて赤坂や」と宿間距離の短いことを詠みこんだ句碑が,宝暦元年芭蕉五十年忌を記念して建てられたが,現在は明治26年に建て替えられた句碑がたつ。明治5年宿駅制度廃止。なお,赤坂と御油の間に残る街道沿いの松並木が残り,当時をしのぶ遺産として保護されている(国天然記念物)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354001
最終更新日:2009-03-01




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