ケータイ辞書JLogosロゴ 赤沢村(近世)


愛知県>豊橋市

 江戸期〜明治11年の村名。渥美郡のうち。はじめ幕府領,天和元年志摩鳥羽藩領,享保10年からは幕府領。村高は,「寛永高附」281石余,「元禄郷帳」343石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに356石余。慶長9年の検地で城下村を分村。元禄7年二川宿の助郷村となる。慶応元年の家数122・人数593。寛永10年大津山の御林で松木を伐採し,幕府代官の取調べを受けたが,杉山村3か寺の立入で内済。同19年には杉山村と溜池・松木伐採につき争論となり,寛文13年には城下村と野山入会争論となった。城下村との争論は享保6年に再燃したが,決着をみた。太平洋岸の外浜は江戸期には片浜十三里と呼ばれた海上交通の難所で,正徳2年太平洋沿岸の11か村とともに遠州灘での難破船の取扱い規定書を作成。農間稼は,男は網綱拵・秣薪取,女は糸取りと木綿拵(豊橋市史)。寺社は,真言宗大宝院,曹洞宗真竜院・吉祥院・慈照院,赤沢神社・貴船神社。貴船神社には宮座行事がある。明治11年豊南【となみ】村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354006
最終更新日:2009-03-01




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