ケータイ辞書JLogosロゴ 飽津保(中世)


愛知県>瀬戸市

 南北朝期〜戦国期に見える保名。尾張国山田郡のうち。文和2年7月日の尾張国郷保地頭正税弁済所々注進案に「飽津高田 八貫文 南禅寺」が見え,同年8月23日の尾張国諸郷保以下年貢并料足用途注文に「飽津大屋」,応永6年の尾張国国衙領正税未進注文に「飽津本保未進」「飽津大堂未進」,同9年5月28日の尾張国目代(光守)注進状に「同(飽津本保)金井今村」などと見えるほか(醍醐寺文書/一宮市史資料編6),永享2年12月12日の真毓譲状に「尾張国山田郡飽津保内白坂雲興寺」,寛正5年3月6日の聖徳太子伝奥書に「飽津保上村・太子堂」と見える(雲興寺文書/曹洞宗古文書拾遺,万徳寺文書/県史料叢刊)。保内には高田・大屋・大堂・金井今村・白坂・上村などの地があった。また,応永9年5月28日の尾張国目代(光守)注進状に「尾張国国衙正税内自守護御方違乱所々」として「飽津本保 給人津田中務」と見え,守護の違乱にさらされていた(醍醐寺文書/一宮市史資料編6)。「信雄分限帳」に「一,四百貫文 赤沢(津)の郷」と見える。なお,訓に関しては年未詳10月2日の尾張国国衙荘当知行注文に「一,あかつ保 一所 おたのちくせん」「あかつのおう屋一所 おういの御門たうちやう領」と見える(醍醐寺文書/同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354014
最終更新日:2009-03-01




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