ケータイ辞書JLogosロゴ 赤根郷(中世)


愛知県>御津町

 戦国期に見える郷名。三河国宝飯【ほい】郡御津荘のうち。大永2年9月6日の萩原神社棟札銘に「御津庄内赤根郷大明神」とある(神社を中心としたる宝飯郡史)。弘治2年10月24日今川義元は「赤根村右衛門四郎分田地」の百姓職を林次郎兵衛に安堵している(林文書/豊川市史中世近世史料編)。これはかつて地頭保田方へ15貫文の敷銭に渡したもので,保田氏が赤根の知行権を失って一族らしい者に還付された際に林氏の百姓職も返還されたものである。この保田氏は鵜殿氏の一族か。「赤根法住院」へ永禄元年9月1日に今川義元,同3年9月21日に同氏真が判物を与え寺領などを安堵している(法住寺文書/岡崎市史6)。法住院に安堵された寺領の中に森下入道の寄進地が含まれており,この森下入道は御津荘司を勤めた波多野氏の一族。永禄5年8月6日の松平元康判物写に「六拾貫文 赤根・金破」と見え,長沢松平康忠に与えられた知行地21か所1,810貫文の1つであった(譜牒余録/同前)。「家忠日記」天正16年12月8日条に「あかね松平幻斎」が鷹雁を家忠に贈ったことが見えている。松平幻斎は康忠の近親者であろう。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354024
最終更新日:2009-03-01




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