ケータイ辞書JLogosロゴ 赤原村(近世)


愛知県>豊田市

 江戸期〜明治22年の村名。加茂郡のうち。はじめ幕府領,のち尾張藩付家老成瀬隼人正領となったと思われ,元和2年その分家である成瀬伊豆守領となるが,寛永15年同家は断絶し,再び幕府領となったと考えられ,慶安4年からは旗本石川氏知行(大島陣屋)。寛永6年に検地を実施したという(松平町誌)。村高は,「寛永高附」119石余,「元禄郷帳」125石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに128石余。村民のなかには馬稼ぎをする者もおり,天保15年〜弘化3年にかけて足助【あすけ】の会所が荷之口銭を徴収することに反対する争論に参加した村の1つ。志賀神社は享保年間の創建という。また,寛永14年創建で文化年間に現在地に移転したという浄土宗地蔵院玉泉寺,明治元年創建の浄土宗徳彰庵教会がある。同9年の地租改正による旧反別5町余,新反別9町余(松平町誌)。同11年東加茂郡に所属。同22年志賀村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354038
最終更新日:2009-03-01




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