赤松村(近世)
江戸期〜明治11年の村名三河国渥美【あつみ】郡のうち汐川上流に位置する地名の「あか」は田畑・野良,「まつ」は「まとば」で広場を意味し広々とした田畑・野良のことを指す小丘陵斜面の畑地から大型銅鐸1基が出土古くから伊勢神宮の神領地である神戸【かんべ】七郷の1つとして栄え,寛永7年に水川村を分村田原藩領江戸期は神戸十郷の1村村高は,「元禄郷帳」225石余,「天保郷帳」397石余,「旧高旧領」398石余天保3年の「地方秘録」によれば,家数80・人数381八幡社がある自鏡寺は,天文14年の開基と伝える明治11年神戸村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354046
最終更新日:2009-03-01