ケータイ辞書JLogosロゴ 浅井郷(中世)


愛知県>稲沢市

 鎌倉期から見える郷名。尾張国中島郡のうち。元応元年10月18日付内藤時信譲状写に「おはりのくになかしまのこほりのうち浅井の郷のちとうしきの事」とある。当郷地頭職は源頼朝安堵以来内藤氏が相伝してきたもので,あいとく御前と盛兼に折半して譲与され,さらに盛信・盛世と相伝された(萩藩閥閲録3)。また,これ以前,寛元3年12月18日付尾張俊村・俊秀連署寄進状によれば,地子畠を「浅井村内〈尾三郎馬允盛長屋敷畠〉恒(垣)内熱田宮御油畠伍段」と交換し,父祖建立の中島観音堂に寄進した(宝生院文書/鎌遺6598)。文和2年10月妙興寺領坪付注文に見える「浅井角畠」6反余は,在庁官人中島長利から寄進された国衙領で,妙興寺は3貫200文の年貢を徴収している。また庶子中島松長の寄進にかかる「浅井堀内」6反半は,応永3年には飯尾将監に押妨されたが,両所領は長享元年頃までの妙興寺領坪付注文に記載されている。永和2年同末寺円光寺天瑞塔領注文には「一所四段〈在所浅井屋上〉」とあり,大工左衛門尉が作職をもち,応永20年まで寺家知行が確認される。「屋上」は近世浅井村東八神・西八神,清水村八神あたりであろう(妙興寺文書/一宮市史資料編5)。天正3年正月24日織田信長は,代官祖父江五郎右衛門らに旧木曽川分流(現日光川)の道根・横野堤を「浅井」以下中島郡内11郷をして修築するよう命じている(氷室家文書/同前6)。「信雄分限帳」には「あさいの郷」とあり,同13年頃には織田信雄の家臣橋本藤左衛門の知行地170貫文があった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354075
最終更新日:2009-03-01




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