ケータイ辞書JLogosロゴ 朝日村(近世)


愛知県>清洲町

 江戸期〜明治22年の村名。尾張国春日井郡のうち。当村の出町に朝日町があった。清須越により名古屋へ移転。当村によって清洲村に新田が開発され朝日分と称し,明治12年に当村へ編入された。尾張藩領。清洲代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに393石余,「旧高旧領」626石余。「寛文覚書」によれば,概高626石余,田24町余・畑3町余,家数46・人数277,馬16。「徇行記」によると,458石余が高木修理ら9人の給知,家数73・人数281,馬3。当村は,五条川の堤の東に民家が軒を連ね,南北に長い村であった。村中には,清洲宿より分かれた小牧街道が通っていた。家ごとに柿が栽培され,朝日柿として名を知られ,下小田井村の市へ売出されていた。柿の木の下にはフキが栽培され,これも市へ出されていた。寺院は,真言宗真福寺・大蔵坊。同寺はもと落合村にあったが,本寺の七ツ寺が慶長16年名古屋へ替地となったため,その跡地へ移ったという。神社は愛宕社,同社は大蔵坊の敷地内にあったが,城下移転に伴い,修験道の愛宕山大乗院として名古屋南寺町(現名古屋市中区)に移った際大知(智)院として残された。清須城鬼門の守護神として代々城主に深く崇敬されていたが,明治5年太政官の達によって修験宗は廃されたため,大智院はなくなり愛宕権現として残った(清洲町史)。同13年西春日井郡に所属。同22年朝田村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354103
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ