ケータイ辞書JLogosロゴ 味岡荘(中世)


愛知県>小牧市

 平安末期〜戦国期に見える荘園名。尾張国春日部郡のうち。康和3年9月25日付中宮職庁下文に「味岡御庄」とあり,平時範が当荘荘司に任じられて荘雑務を執行することとされている(朝野群載4)。また,猿投神社蔵「金剛頂瑜伽金剛薩埵五秘密修行年誦儀軌」の建久3年奥書に「但先年二以師本,於尾州味岡奉受□」と,当荘が見える(豊田市史6)。皇室領荘園として伝領され,弘安6年に室町院(後堀河天皇皇女)が安嘉門院の五七日供養を行った際には,「味岡庄〈六貫〉」と,当荘からも室町院領としてその用途が納められた(勘仲記弘安6年10月9日条)。嘉元4年6月12日付昭慶門院御領目録には「一室町院御領……味岡庄〈入道相国,永嘉門院〉」とあり,後宇多院領とされている(竹内文平氏所蔵文書/一宮市史資料編6)。その後,当荘は後宇多院皇女の崇明門院に相伝されたが,元弘2年,「尾州味岡本荘」は崇明門院の母永嘉門院を供養するために香灯料として京都報恩寺(後の万寿寺)に寄進され,次いで「味岡新荘」も同寺に付された(京城万寿禅寺記/群書24)。しかし,室町期になると,武士の兵粮徴収を蒙った上(同前),「康正二年造内裏段銭并国役引付」によれば「嵯峨大雄寺領〈尾州味岡庄段銭〉」「伊勢平三左衛門尉殿〈尾州味岡段銭〉」「万寿寺領〈尾州味岡新庄段銭〉」「伊勢彦左衛門尉殿〈尾州味岡段銭〉」とあり,味岡本荘は大雄寺や伊勢氏の知行となっている(群書28)。その後,若王子(宝雲寺)も当荘を知行したらしく,文明5年若王子が借銭の担保とした「檜物・味岡両荘千疋分」をめぐって幕府に訴えがあった(政所賦銘引付/室町幕府引付史料集成上)。荘域については不詳であるが,文明15年の愛藤山小松寺意趣に「尾州春日部之郡味岡愛藤山小松寺〈田中郷内〉」(小松寺文書/県史料叢刊),また天文21年の新徳寺棟札写に「尾州春日郡味岡荘多楽郷」とあることから(春日井市史資料編),荘内に田中郷・多楽郷が属したことが知られる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354122
最終更新日:2009-03-01




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