ケータイ辞書JLogosロゴ 吾鬘村(近世)


愛知県>一宮市

 江戸期〜明治22年の村名。丹羽郡のうち。尾張藩領。小牧代官所支配。村高は,「寛文郷帳」我神村として244石余,「天保郷帳」では「古者吾髪村」と肩書きされて214石余,「旧高旧領」255石余。「寛文覚書」によれば,本田の概高232石余,田2町余・畑18町余,ほかに古新田の概高3石余,慶安元年検地の新田高4石余,家数30・人数199,馬5。一宮之宿の加助郷村。「徇行記」によれば,本田は古川宗三ら4人の給知,家数56・人数224,馬1。高の割に戸口が多く,田は天水待で,卑湿の地であり,青木川に流入する2つの悪水路に挟まれた水害がちの村。寺院は阿豆良神社の社僧真言宗宝昌寺(寛文覚書には法昌寺)。神社は阿豆良神社,境内社に一ノ宮・二ノ宮・三ノ宮・権現・白山・天神・八幡・神宮司。阿豆良神社は「延喜式」神名帳に名がある。明治12年尋常小学吾鬘学校設置。同22年多加森村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354169
最終更新日:2009-03-01




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