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- 阿蔵村(近世)とは
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阿蔵村(近世) 江戸期~明治8年の村名阿蔵町とも呼ばれた豊後国直入郡天倉郷のうち玉来【たまらい】川と本流の大野川の合流点付近に位置し,玉来川の湾曲した内側に青【あお】と呼ばれる広い砂洲があって湿田を作っていた地名は古くは麻生【あそう】寺という寺があり,はじめ麻生村と称していたが文禄3年に改めたという(直入郡村誌)岡藩領玉来組に属す村位は下村高は「正保郷帳」287石余,うち田154石余・畑133石余「見稲簿」272石余,「天保郷帳」同高,「旧高旧領」111石余安永7年の小庄屋は武左衛門当地は岡城へ向かう肥後往還の要衝で,元禄11年(あるいは寛文7年ともいう)に玉来川に阿蔵橋が架設された岡城下まで28丁で,紙製造を行う家が数戸あり,藩庁の用紙を製造,熊本藩にも送られたという(明和集禄)明治4年大分県に所属同8年玉来村に合併,以来通称地名として存続現在の竹田市大字玉来のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
阿蔵村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」