ケータイ辞書JLogosロゴ 雨山村(近世)


愛知県>額田町

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ三河国宝飯【ほい】郡,寛永15年から額田郡のうち。はじめ作手藩領,慶長15年幕府領,天和元年志摩鳥羽藩領,享保10年幕府領,安永3年旗本稲垣氏知行,同7年駿河田中藩領,天明2年からは旗本酒井氏知行(細川陣屋)。慶長9年検地帳では,総分米171石余,田9町余・畑4町余,名請人21。村高は,「寛永高附」171石余,「元禄郷帳」179石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに186石余。赤坂宿の定助郷村。井堰は27,田地が多い。明治7年の戸数46・人口174(額田郡誌)。また,炭焼24・木挽4,水車1,大工1,牛馬商1,牛36(宮崎村誌)。寺院は曹洞宗菩提院があり,天保年間頃の僧哲随は雨山六人衆事件で活躍。神社は,熱田神社をはじめ,山神2・若宮2・水神社・社口社。熱田神社境内には白山社・天神社・御鍬社・秋葉社・稲荷社・神明社などがある。上千両【かみちぎり】村・下千両村・大崎村・六角村(豊川市)と長年にわたって山論を起こした。文化・文政・天保・嘉永年間にはしばしば風水害に見舞われ,惣作地が年々増加,負担が重かった。天保10年領主酒井氏の手代と騒動を起こし,最終的には6人が江戸で牢死した。彼らは雨山六人衆と呼ばれ,明治期になって位牌を作り,墓を建てて供養した。明治9年菩提院に仮教場が設置され,同12年宮ノ入に新築移転,同15年袖川学校と改称。同22年宮崎村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354224
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ