ケータイ辞書JLogosロゴ 荒尾郷(中世)


愛知県>東海市

 鎌倉期〜戦国期に見える郷名。尾張国知多郡のうち。正安元年8月日の尾張大郷百姓等陳状案によると荒尾郷住民である観音冠者が大郷の住人権守三郎らに殺害された事件で,荒尾郷村人が大郷百姓を訴えたのに対し,この闘諍が,「市町・浦浜・野山・道路等」での当座の諍論であり,当人がすでに逐電していることなどを理由に,荒尾郷の訴えに反論したものである(猿投神社蔵本朝文粋裏文書/鎌遺20218)。なお,文和2年7月日の尾張国在庁私領国領注進状案に国衙領の地頭として見える荒尾氏は,この荒尾郷を本領とする国人であろう。応安5年5月日の荒尾泰隆寄進状案によると,荒尾郷の一部3町2反は荒尾泰隆によって竜翔寺の修理料所として永代寄進されている(大徳寺文書/大日料6‐36)。また応永16年正月11日の熊野権大僧都良尊檀那譲状案によれば,「荒尾郷神殿一類」が良尊の熊野参詣の檀那場であった(熊野那智大社文書1)。その後,荒尾郷は戦国期まで続き,「康正二年造内裏段銭并国役引付」にある荒尾小太郎ら室町期・戦国期に活躍する荒尾一族の本領地であったと推定される(群書28)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354246
最終更新日:2009-03-01




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