ケータイ辞書JLogosロゴ 淡淵村(近世)


愛知県>額田町

 江戸期〜明治22年の村名。三河国額田【ぬかた】郡のうち。はじめ幕府領,天和元年志摩鳥羽藩領,享保10年幕府領,安永元年からは西大平藩領。村高は,「寛永高附」67石余,「元禄郷帳」72石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに75石余。元禄16年の家数34,うち本百姓25・水呑百姓8・山伏1,人数176(人別御改帳)。助郷勤めはないが,宮崎組合5か村に入り,宝飯【ほい】郡長沢村に掃除丁場を持つ。男川左岸に阿弥陀堂(貞享年間以前は万久院),滝の右岸には明王院(元禄年間以前は頼宝院)と不動堂がある。頼宝院の本尊は阿弥陀堂に移したといわれている。文政10年頃より明王院法印十川氏は淡淵・片寄・光久・滝尻・鳥川の各神社に神子舞と湯の花の祓を例祭の神事にとり入れたが,明治維新以降廃止となる(額田郡神社誌)。神明宮2社・山の神・塞の神などを祀る。延享2年願書によれば,木綿は不適地で往古より年貢畑に茶木を植え付けるとあり,明治初年には茶商人が2人いた。安政3年庄屋萩原権右衛門などの働きかけで,淡淵用水工事が5か年で完成。村内には,山すそ囲りに石積み鹿垣があり,石積みの名人といわれる石工孫左衛門は当村の住人。明治9年の戸数28,専業農家24・兼業農家4(茶業2・水車屋1・紺屋1),人口153(豊富村誌)。同11年頃樫山学校の分校として淡淵学校創立。同22年高富村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354285
最終更新日:2009-03-01




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