ケータイ辞書JLogosロゴ 井ケ谷村(近世)


愛知県>刈谷市

 江戸期〜明治22年の村名。碧海郡のうち。元和7年西尾藩領,寛永13年幕府領,天和元年伊保藩領,その後(宝永7年か)幕府領となり,安永4年からは刈谷藩と西大平藩の相給。村高は,「寛永高附」1,184石余,「元禄郷帳」1,322石余,「天保郷帳」1,374石余,「旧高旧領」1,373石余。洪積地には多くの溜池が造られ,大池・小堤西池・洲原池・広沢池・草野池・牛池・庄司池などが現存する。江戸期には支配別に上井ケ谷村(刈谷藩領)と下井ケ谷村(西大平藩領)とに分かれているが,「天保郷帳」「旧高旧領」では井ケ谷村一村として見える。鎮守は八幡社(下井ケ谷)と洲原神社(上井ケ谷)で,寺院に曹洞宗見性寺・深興寺,浄土宗遊心寺がある。遊心寺は毘沙門天王像を祀り,往生寺として知られる。明治9年の戸数154。同11年上井ケ谷村と下井ケ谷村が合併して再び井ケ谷村が成立したとの資料もある。地租改正により地租が金納になると,綿作と綿商いが盛んとなり,同19年三州組綿商が結成された際には5人の組合員が見える。同22年境村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354328
最終更新日:2009-03-01




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