ケータイ辞書JLogosロゴ 池辺(中世)


愛知県>稲沢市

 鎌倉期から見える地名。尾張国中島郡のうち。弘安5年7月日付尾張国千代氏荘坪付注進状案に中島郡三宅郷内として「中池部(辺)里」「下池部里」とあり,鈴裳名・永吉名・金岩恒貞名などの国衙領の田地があった(醍醐寺文書/稲沢市史資料編7)。嘉元4年11月18日覚蔵らは熱田社に油畠として寄進していた「中島郡南条下池部里内」の今村福満寺々職畠3町5反を鎌倉円覚寺に寄進(円覚寺文書/鎌遺22770)。南北朝期の延文2年7月4日付刑部左衛門時末安堵状写では「中島郡南条三宅郷中池(ママ)里三十坪田」8反が熱田社惣検校常陸修理介(尾張員仲か)に安堵されている(馬場家古証状写/張州雑志)。応永2年7月11日御園光宣が妙興寺末寺池辺持地寺に「平野村内池辺畠地」を寄進しており,室町期には平野村に含まれたらしい(妙興寺文書/大日料7‐2)。戦国期には「信雄分限帳」に「いけべの郷」とあり,稲木二(弥)七郎の知行地130貫文があった。同18年2月1日信雄が小田原攻めのため萩原渡〜清須間の道路築造に際して「池辺」からも稲葉での工事に動員されている(酒井家文書/稲沢市史資料編7)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354372
最終更新日:2009-03-01




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