ケータイ辞書JLogosロゴ 一色村(近世)


愛知県>藤岡町

江戸期〜明治5年の村名三河国加茂郡のうち矢作【やはぎ】川支流飯野川上流右岸「寛永高附」では大名成瀬氏領,元禄10〜14年は旗本沼間氏知行,のち(宝永2年からか)吉田藩領,天保3年幕府領,同9年からは吉田藩領村高は,「寛永高附」181石余,「元禄郷帳」151石余,「天保郷帳」159石余,「旧高旧領」では北一色村と見え159石余集落は下・北・洞の3つの島からなる元文元年の戸数57明和4年の大水では上流から流れ出した岩石が北島集落を襲い,5名の犠牲者が出た(藤岡村誌)村内には山神池・赤坂池・寺沢池・日焼池・寺池・蓮池という溜池があり,米・麦・黍・稗・粟を作り,特産物は綿・楮皮・葉煙草・菜種曹洞宗金剛寺は,享保19年の開山寛永2年の棟札のある八王子神社は,明徳4年の創建と伝え,小猿投と俗称されて総鎮守として崇拝され,明治18年の氏子数は119戸とあり,当村の戸数の倍以上を数えた明治5年八柱神社,大正12年藤岡神社と改称する天保元年〜明治5年金剛寺で寺子屋が開かれた(県教育史)同年同郡内に同名村があることから北一色村と改称
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354398
最終更新日:2009-03-01




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