ケータイ辞書JLogosロゴ 石橋(中世)


愛知県>稲沢市

 鎌倉期から見える地名。尾張国中島郡のうち。元応2年4月3日付中島承念譲状案に「一所 四段 門田六反 石橋同(長滝寺)寺田」とあり,当地に尾張国大介職に付属する所領があった(妙興寺文書/稲沢市史資料編7)。戦国期には,文亀元年善慶寺蔵阿弥陀如来絵像裏書写に「中島郡石橋村」と村名で見える(稲沢市史資料編7)。「信雄分限帳」によれば,天正13年頃「石はし」は織田信雄の家臣赤林甚右衛門の知行地であった。同18年正月28日信雄が小田原攻めのため萩原渡〜清須間の幹線道路築造を命じた際には,中川弥助が「石橋」における工事責任者となり,同年2月1日支線道路築造を命じた際には,桜木・横地の人々が当地での工事に動員されている(酒井家文書/同前)。同19年の上宮寺末寺帳に「いしはし村法蔵坊」とある(上宮寺文書/同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354417
最終更新日:2009-03-01




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