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- 井田村(近世)とは
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![]() | 井田村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 井田村(近世) 江戸期~明治8年の村名備前国和気郡のうち藩営新田の1つで,井田新田村とも呼ばれる寛文元年~同4年に,友延村と難田村の境の伊里川河口の干潟が干拓されて成立村名は古代中国の井田【せいでん】法にちなむ岡山藩領村高は「天保郷帳」「旧高旧領」ともに188石余また「備陽記」では,高160石余,反別15町2反余,家数27・人数201化政期の和気郡手鑑(和気郡史)では高188石余,家数52・人数302藩主池田光政は,当村に井田の地割を施して井田法を後世に伝えようとし,命を受けた津田永忠が寛文12年地割に着手した当初の開発地は9町余で友延新田村と呼ばれたが,これを長さ100間3尺・横30間の長方形9枚に区切り,中央を公田,周囲の8枚を私田としたこれが上井田で,貞享元年から元禄初年にかけては,南の9町3反余に55間4尺2寸四方の正方形9枚の地割を施し,中央を公田,周囲の8枚を私田としたこれが下井田と呼ばれる当初,年貢は公田の収穫のみで,延宝元年にはそれも井田普請入用に充てられたが,同3年藩財政困窮のため,藩主綱政により井田の税制は廃止された氏神の竜宮は友延村天神宮の末社で,新田開発の際仲堤海中石を祭神とし,文化10年には西京の土御門家から木像を勧請し奉斎した同社は昭和19年井田神社と改称明治4年岡山県に所属同7年頃井田小学校を開設同8年穂浪村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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