ケータイ辞書JLogosロゴ 伊奈村(近世)


愛知県>小坂井町

 江戸期〜明治22年の村名。宝飯郡のうち。寛永4年吉田藩領,天明6年一部が遠江相良藩領となり,さらに享和2年同藩領は幕府領となるが,明治維新時には全域が吉田藩領となっていた(宝飯郡誌)。なお,「豊橋市史」によれば,吉田藩領であった当村の一部が上知されたのは安永3年のことで(相良藩領となったのであろう),享和3年再び全域が吉田藩領になったとある。村高は,「寛永高附」846石余,「元禄郷帳」946石余,「天保郷帳」1,164石余,「旧高旧領」1,213石余。村内は中村・市場・北村・新屋・新町・八丁・茶屋などの集落に分かれ,新町・八丁・茶屋は東海道に沿う街村形態の集落で,寛永年間頃代官安藤弥兵衛が東海道筋に人家がなく物騒なので,近村にすすめて来住する者には税を免除する特典を与えたため人家が増したという。耕地は中村・市場・北村が主体で,米・麦・雑穀・綿などを栽培。また,三河湾の浅海漁業に従事し,吉田藩に運上した。慶応2年には漁場割付から前芝村・梅藪村と平井村・伊奈村・日色野村との間で争論が起き,「蓑笠騒動」と呼ばれる騒動に発展したが,明治維新により双方は吉田藩の国益係杉本百助の案に従い内済した。正徳5年には当村と下佐脇村・上佐脇村・森村との間に秣場についての争いがあった。若宮八幡社は中村・市場・北村・新屋の氏神,速須佐之男神社は新町の氏神で天王社と呼ばれていた。曹洞宗中本山の東漸寺は,伊奈本多家の菩提寺,ほかに曹洞宗永正寺,真宗高田派西蔵寺がある。明治22年市制町村制施行による伊奈村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354586
最終更新日:2009-03-01




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