ケータイ辞書JLogosロゴ 井口郷(中世)


愛知県>岡崎市

 戦国期に見える郷名。三河国額田【ぬかた】郡のうち。明応3年10月28日の大樹寺宛松平栄金(光重)奉書に「額田拾人百姓之内,井口之郷次郎右衛門名田」の大樹寺西川端畠の作職を召し置くとある(大樹寺文書/岡崎市史6)。これ以前,長禄4年11月26日の岩堀横大路宛松平親則田畠預状案によれば,「大門郷内井口横大路屋敷空浄跡田畠」を幕府奉公衆岩堀氏の一族から松平親則が年貢4貫500文で預っている(同前)。当時井口は大門郷に属していた。岩堀氏が関与しているのは井口という場所が東西交通の要衝であったからであろう。矢作川渡河は北野〜大門間でも盛んに行われ,大門から井口の台地に上がって南下するという道があった。「今川記」によると,寛正6年の額田郡牢人一揆の輩は「額田郡井の口と云所」に立てこもって京都へ運送する官物を抑留するなどの行為を働いたという。文亀3年9月5日の本願寺実如下付の西光寺本尊裏書(西光寺蔵)に「勝万寺門徒三河国額田郡井口西光寺」とあり,勝鬘寺下の真宗寺院があった。大永〜天文年間に井口に住む百姓・土豪の土地売券が散見する(大樹寺文書/岡崎市史6)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354662
最終更新日:2009-03-01




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