ケータイ辞書JLogosロゴ 猪伏村(近世)


愛知県>大府市

江戸期〜明治9年の村名尾張国知多郡のうち知多半島の基部,石ケ瀬川右岸に位置する尾張藩領鳴海代官所支配村域は亀坂川と馬瀬口川によって三分されている集落は亀坂川の南部と北部に形成され,南集落を西組,北集落を東組と呼んだ村名は,衣ケ浦の入江が集落の近くまで入り込み,江淵【えぶち】と称していたのがなまって,「いぶち」あるいは「いぶし」となったと伝えられる対岸には大府【おおぶ】村の枝郷江端【えばた】がある村高は,慶長検地,「寛文郷帳」ともに165石余,「天保郷帳」172石余,「旧高旧領」269石余「寛文覚書」では家数27・人数203,牛馬15「徇行記」では,全村蔵入地,戸数36・人数161,馬1鳴海宿の助郷村天保12年の村絵図には,神社は神明社・八幡宮・若宮社・社宮神が見え,寺は曹洞宗長沢寺がある村内には古墳時代の源吾遺跡,中世の山茶碗窯跡がある明治9年森岡村の一部となる現在の大府市森岡町にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354685
最終更新日:2009-03-01




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