ケータイ辞書JLogosロゴ 今川村(近世)


愛知県>刈谷市

 江戸期〜明治11年の村名。三河国碧海郡のうち。刈谷藩領。天正20年の検地史料に「いも川村中」とあるから一村の扱いを受けていたことになるが,泉田村の出郷で,東海道が整備され,街道沿いに茶店が多くなってから泉田村から分郷したとみられる。元禄14年の三河石高図には「泉田村之内茶屋町」とあり,まだ一村を成していない。「東海道駅路鈴」に「此所に昔は小家二,三軒ありしが,近き頃茶屋となり,今はかくおひたゝしくなり侍る」とあり,「五街道細見記」に「芋川,立場」とあり,茶屋町として発展したことが知られる。享保8年に至って80戸を数えたので分郷を願い出て,同16年に隣村との境界を定めて独立した。ただし,「天保郷帳」に当村名が見えず,「旧高旧領」に独立した村として記載される。公的には幕末に分村したものと思われる。村高は,分村当時490石余,「旧高旧領」594石余。村の大部分は畑地で,山を切り開いた新田畑が享保元年に103石余とある。小物成に山下草年貢・茶園年貢がある。享保16年頃の家数89,弘化4年の家数149・人数624。池鯉鮒【ちりゆう】宿の助郷村で,嘉永4年には1,881人,馬350の助郷割当が見られる。このため幕末まで御伝馬勤高半高免除半高休役を願い続けている。綿作が行われ,嘉永7年には綿木綿出商人2人が見える。氏神の八幡社,真宗乗蓮寺がある。駅制の廃止された明治8年の人力車夫10(諸届書綴)。同9年の戸数184・人口818。物産に綿450貫・木綿450反が見られる(物産届)。明治11年逢見村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354729
最終更新日:2009-03-01




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