ケータイ辞書JLogosロゴ 伊良胡御厨(中世)


愛知県>渥美町

 鎌倉期〜戦国期に見える御厨名。渥美郡のうち。建久3年8月日の伊勢大神宮神領注文に「伊良胡御厨外・給主同宮権神主貞村等……子細見于嘉承注文・永久宣旨也」とあり(神宮雑書/鎌遺614),「神鳳鈔」では「上分三石雑用三十石」,「外宮神領目録」では「三石干鯛三十侯」を上納している。永正9年11月26日の内宮引付によれば,源頼朝は治承5年正月に伊雑宮造営のため当御厨を寄進した(大日料9‐4)。建久10年3月23日の源頼家御教書によると,頼家は当御厨の地頭職を停止したが,これは安達氏の勢力削減と関係するか(吾妻鏡正治元年三月廿三日条/鎌遺1044)。「勘仲記」弘安9年12月3日条によると,外宮一禰宜貞尚と前権少副隆逸が当御厨内の沽却地について相論を起こした(兼仲卿記正応元年7月巻裏文書/鎌遺16683)。しかし,正応5年5月5日の度会益房処分状案によれば,当御厨は益房から嫡子希房に譲られた(光明寺文書/鎌遺17886)。次いで正中2年3月日の度会行文処分状写によると,当御厨内の小中山は買得したものであり,女子分の高萩・堀切・胡塩は三分して子の国行・繁行・行古に譲られている(櫟木文書/鏑矢伊勢方記)。延文2年閏7月15日の足利義詮御判御教書によると,深沢次郎左衛門の押妨に対し,足利義詮は三河国守護仁木義長をして雑掌邦平に下地を沙汰付けさせた(尊経閣文庫所蔵文書/岡崎市史6)。嘉吉元年8月22日清閑寺幸房は当御厨の無沙汰について幕府に訴えており,また同年閏9月17日にも万里小路時房が吉田前頭弁所領伊良胡のことを示し,幕府にも訴えている(建内記4/大日古)。なお,「古今著聞集」巻12には,正上座行快なる弓の名手が熊野神供米を三河から海上輸送の途中「伊勢国いらごのわたり」で海賊の襲撃を受け,得意の弓射によってこれを退けた説話が見え,当御厨の前面の海は三河と伊勢・熊野方面との重要な海上交通路であった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354751
最終更新日:2009-03-01




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