ケータイ辞書JLogosロゴ 岩倉村(中世)


愛知県>岩倉市

 戦国期に見える村名。尾張国丹羽郡のうち。川井町光禅寺蔵方便法身画像の明応7年6月2日付裏書に「尾州丹羽郡岩倉村 井上庄中野六郎丸 光禅寺」とある(岩倉市史下)。現在の岩倉市下本町には文明年間に織田敏広が築いたという岩倉城跡があり,清須城による下の織田に対して上の織田の尾張上四郡経営の中心として繁栄した。近世の岩倉村の枝郷に上市場・中市場・下市場などがあるのは岩倉城下における町屋の発達を示すもので,城南には侍屋敷や寺社群もあったという(同前上)。弘治2年4月斎藤道三・義龍父子が直接対決した長良川の戦いに関連して,「江濃記」は「織田伊勢守信安,斎藤義紀ト申合テ清州ヲ攻ラルゝ,信長則引返シ攻岩倉攻落ス」と記し(群書21),道三の援助に向かった信長の留守を狙って斎藤義紀・織田信安は清須を攻撃したが,逆に信長に信安の居城岩倉城を攻められたという。次いで信長は永禄元年5月・7月の両度にわたって岩倉を攻略して打撃を与え,翌2年春には「岩倉ノ町中侍屋敷」などに火を放って陥落させた(信長公記・総見記)。「家忠日記」に,天正12年8月小牧・長久手の戦の際のこととして「羽柴こほり筋へ押出し所々放火候,家康も清須より岩くら迄御うつり候」と,徳川家康出陣の模様が記される。現在の岩倉市中央部の東町・東新町・大市場町・本町・中本町・下本町・中野町・鈴井町・泉町・宮前町・西市町・栄町・新柳町・中央町・旭町・昭和町にあたる地域。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354765
最終更新日:2009-03-01




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