ケータイ辞書JLogosロゴ 岩手村(近世)


愛知県>扶桑町

江戸期〜明治8年の村名尾張国丹羽郡のうち木曽川左岸の堤防沿いに位置する地名の由来は,木曽川へ猿尾のごとく指し出た所を岩出といい,この名をかりて岩手と名づけた(地名考)はじめ尾張藩領,明治元年からは犬山藩領小牧代官所支配村高は,「寛文郷帳」33石余,「天保郷帳」33石余,「旧高旧領」7石余「寛文覚書」によれば,本田の概高3石余,反別は畑7反余,家数5・人数30,馬1,ほかに見取新田が3反余あり,舟渡が1か所ある「徇行記」によれば,成瀬隼人正の給知,戸数6・人数27,寛永11年木曽川が決壊して村高は3石余になったといい,大川囲堤(慶長13年築堤のお囲い堤)を築いたのちは堤防内の村となったため,たびたび水害に見舞われた寛政元年の洪水の時には当村と草井村の間の猿尾が決壊したが,よく修築し,堅固になったとある薬師堂と神明社がある明治8年山那村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354811
最終更新日:2009-03-01




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