ケータイ辞書JLogosロゴ 牛田村(近世)


愛知県>知立市

 江戸期〜明治22年の村名。碧海郡のうち。はじめ刈谷藩領,寛政4年陸奥福島藩領,明治2年からは同藩が改称して重原藩領となる。村高は,「寛永高附」「元禄郷帳」ともに715石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに529石余。小物成には山下草年貢・茶園年貢がある。東海道沿いの街村で,池鯉鮒【ちりゆう】宿の助郷村。村内は東組・西組に分かれ,それぞれ庄屋が置かれた。江戸期の名物に牛田大豆煎があり,「三河国名所図絵」に大豆煎茶屋が記されている。安永年間より猿渡川を利用した水車が置かれ,油の製造および副製品の粕の販売が行われた。天明2年の生産高は綿実油30石・菜種油100石(牛田しるべ)。真宗大谷派西教寺,黄檗宗泉蔵寺,八幡社がある。明治2年字高根の原野に重原藩士が入植,主に茶を栽培したが,水利の便が悪く開墾は困難を極め,定住した藩士はごくわずか。同4年の大浜騒動に西教寺が参加。同年泉蔵寺が廃寺となった。同6年の戸数172(知立市史)。同14年明治用水西井筋が中央部に開通。同22年牛橋村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354911
最終更新日:2009-03-01




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