ケータイ辞書JLogosロゴ 氏永村(近世)


愛知県>一宮市

 江戸期〜明治22年の村名。中島郡のうち。尾張藩領。清洲代官所支配。村高は,「寛文郷帳」氏長村として206石余,「天保郷帳」は「古者氏長村」と肩書して211石余,「旧高旧領」296石余。「寛文覚書」によれば,概高290石余,田2町余・畑26町余,家数46・人数253,馬10。「徇行記」では,本田は山内友之丞ほか3人の給知,享保11年の新田5石余は蔵入地。やや高地で畑が多く,畑の特産物として,木綿・藍・牛蒡・大根と大根切干などがあった。弘化5年に紺屋が2軒あった(尾州濃州紺屋惣帳/名古屋叢書11)。寺院は,真宗大谷派専福寺。神社は大明神・八幡・若宮八幡。現在大明神の社はなく,貴船社があり,合祀されたものと思われる。明治22年妙興寺村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354923
最終更新日:2009-03-01




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