ケータイ辞書JLogosロゴ 後飛保村(近世)


愛知県>江南市

 江戸期〜明治22年の村名。尾張国葉栗郡のうち。尾張藩領。北方代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに411石余,「旧高旧領」479石余。「寛文覚書」によれば,本田は概高460石余,反別は田3反余・畑65町余,ほかに古川新田があり,概高19石余,反別は田2町余・畑3畝余,家数87・人数491,馬12,木曽川堤修理のための籠作り人足,生田橋架替え手伝人足を出した。天保年間の村絵図によれば,給知高439石余,給人は生駒主計・横井伊折介ら9人,ほかに蔵入高19石余,青山寅三郎預地20石余,蔵入見取所6町2反余がある。寺社は「寛文覚書」に薬師堂と白山・神明が見える。養蚕を主とした畑作農業を行う。明治15年には後飛保学校があったが,同21年飛保学校が設立され,前飛保村・松竹村の各校を統合した。同22年飛保村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7354939
最終更新日:2009-03-01




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