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「駅家郷(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

駅家郷(古代)


平安期に見える郷名「和名抄」三河国宝飯【ほい】郡十三郷の1つ郷名は「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条に記される渡津【わたむつ】駅が存在したことによると考えられる従来か...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7355003]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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駅家郷(古代)

平安期に見える郷名「和名抄」海部【あま】郡四郷の1つ東急本は「㛔家」,伊勢本は「㛔家」と記している高山寺本には見えない「続風土記」は「㛔家」を「雑家」の誤りとし,近世における雑賀【さいか】荘といい,また「㛔家」を「布計」とよみ,吹上のことであろうかともいうしかし,永承3年10月18日に吹上・雑賀を通過した藤原頼通の紀行記によれば,古代におけるその付近は広大な砂丘と松原であったことがわかり(宇治関白高野山御参詣記/続々群5),公郷の存在したことを想定することは困難であるまた,「地理志料」は「㛔家」を「烽家」の誤りと判断し「布介」とよみ,軍防令に規定された烽(狼煙台)に付属した郷であり,衣奈【えな】荘吹井【ふけい】村はその遺名であるとして当郷を現在の由良町吹井・衣奈付近に比定している一方,「地名辞書」はこれを「みやけ」とよみ,「日本書紀」欽明天皇17年条に見える「海部屯倉」を指し,和歌浦妙見山をその遺称地と推定し,当郷を現在の和歌山市西浜・関戸1~5丁目・宇須1~4丁目・塩屋1~6丁目・和歌浦中1~3丁目付近に比定しているしかし,「地名辞書」は,当郷を「駅家」の誤りとする説も併載しており,当郷が,「和名抄」海部郡の最末尾に記されており,神戸・余戸・駅家を除いて一般公郷のみを記す高山寺本には,削除されていることから,「㛔家」は「駅家」の誤写と考えられ,海部郡賀太郷に配された賀太駅に付属する駅家郷であったと推定されるが,詳細は不明

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

駅家郷(古代)
平安期に見える郷名「和名抄」尾張国愛智郡十郷の1つ高山寺本には記載がない郷名は古代の駅制に由来し,当郷は主として旧来からの駅家・駅戸から構成されていたと推定される「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条・「和名抄」駅名部によれば,尾張国には東海道の駅として馬津・新溝・両村の3駅が置かれていたこのうち馬津駅は木曽川の河道沿いに位置し,両村駅は山田郡両村郷,もしくはその近傍に置かれたと考えられることから,残る新溝駅は愛知郡内にあったとするのが自然で,当郷は新溝駅を前身とすると考えられる新溝駅を愛知郡に想定する「地名辞書」は正確には不詳としつつも,同駅を古渡(現名古屋市中区)周辺に比定し,「古代日本の交通路」では南駅町・北駅町(現名古屋市西区)一帯に比定しているが,比定の根拠の1つとなった駅の地名は,新しいものとされる一方,「地理志料」は同駅を新溝の地名の残る岩倉市に求め,その結果,当郷を鳴海郷にかかわらせて解し,その近在に比定するが,鳴海郷のすぐ東隣には山田郡駅家郷を近傍に持つ両村郷が位置していることから,その比定には難があろう...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

駅家郷(古代)
平安期に見える郷名「和名抄」碓氷【うすい】郡八郷の1つ東急本に家と書き,高山寺本には見えない諸本ともに訓を欠く平安期の東山道は,信濃国から碓氷坂を越えて上野【こうずけ】国に入り,碓氷郡坂本・同郡野後・群馬郡群馬・佐位郡佐位・新田郡新田の5駅を経て下野【しもつけ】国足利駅へ通じており,4郡を貫いていた駅家の設置に伴って駅戸が定められるが,駅戸が1郷を形成した場合が駅家郷であり,各郡に駅家郷が置かれていた「上野国交替実録帳」に「戸籍伍百伍拾巻〈已無実〉庚午年玖拾巻〈管郷捌拾陸,駅家戸肆〉五此戸籍肆佰陸拾巻」とあり(県史資料編4),この「駅家戸肆」とは「和名抄」に見える4つの駅家郷をさしているものと考えられる当郷は坂本駅・野後駅のいずれかの駅家郷と考えられるが,この場合は野後駅に関するもので,坂本駅については一般の郷の中に指定されていたとする見方もある(県史研究19)野後駅は現在の安中【あんなか】市の通称地名上野尻付近に比定されており(古代日本の交通路Ⅱ),当郷もこの付近と推定される...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

駅家郷(古代)
平安期に見える郷名「和名抄」加賀国加賀郡八郷の1つ刊本のみに見え,高山寺本にはあらわれない郷名の由来は,郷域内に駅家が置かれていたことによる遺称地がなく,「延喜式」「和名抄」に名を欠く石川郡所在の某駅と結びつける説(地理志料)もあるが,加賀郡に属したことは動かせない「延喜式」「和名抄」に見える加賀郡の田上【たがみ】・深見【ふかみ】・横山の3駅のうち,田上郷に位置したことの確実な田上駅を除いて,深見駅・横山駅のいずれかに結びつく郷名と見なすべきである深見駅が加賀郡井家【いのいえ】郷に属したことも,ほぼ疑いないので,加賀郡の和名抄郷の分布から推測して,横山駅と関連づける説(地理志稿)が妥当性が強いかりに横山駅が置かれていたことにちなむ郷名とすれば,その郷域は,加賀国の北隅に位置し,海岸砂丘と宝達【ほうだつ】丘陵西麓線にはさまれた宇ノ気【うのけ】川流域の細長い平地を中心に,いまの河北【かほく】郡宇ノ気町の北部から七塚【ななつか】町・高松町一帯に広がっていたことになる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

駅家郷(古代)
平安期に見える郷名「和名抄」群馬郡十三郷の1つ東急本に家と書き,高山寺本には見えない諸本とも訓を欠く平安期の東山道は,信濃国から碓氷【うすい】坂を越えて上野【こうずけ】国に入り,碓氷郡坂本・同郡野後・群馬郡群馬・佐位郡佐位・新田郡新田の5駅を経て下野【しもつけ】国足利駅へ通じており,4郡を貫いていた駅家の設置に伴って駅戸が定められるが,駅戸が1郷を形成した場合が駅家郷であり,各郡に駅家郷が置かれていた「上野国交替実録帳」に「戸籍伍佰伍拾巻〈已無実〉庚午年玖拾巻〈管郷捌拾陸,駅家戸肆〉五此戸籍肆佰陸拾巻」とあり,この「駅家戸肆」とは「和名抄」に見える4つの駅家郷をさしているものと考えられる当郷は群馬郡群馬駅の駅家郷である「延喜式」巻28兵部省(国史大系)には,駅馬は10疋,伝馬は5疋とある郷域は前橋市小相木町付近という説もあるが定かではない...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

駅家郷(古代)
平安期に見える郷名「和名抄」新田郡六郷の1つ東急本に家と書き,高山寺本には見えない諸本とも訓を欠く平安期の東山道は,信濃国から碓氷【うすい】坂を越えて上野【こうずけ】国に入り,碓氷郡坂本・同郡野後・群馬郡群馬・佐位郡佐位・新田郡新田の5駅を経て下野【しもつけ】国足利駅へ通じており,4郡を貫いていた駅家の設置に伴って駅戸が定められるが,駅戸が1郷を形成した場合が駅家郷であり,各郡に駅家郷が置かれていた「上野国交替実録帳」に「戸籍伍佰伍拾巻〈已無実〉庚午年玖拾巻〈管郷捌拾陸,駅家戸肆〉五此戸籍肆佰陸拾巻」とあり,この「駅家戸肆」とは「和名抄」に見える4つの駅家郷をさしているものと考えられる当郷は新田郡新田駅の駅家郷である「延喜式」巻28兵部省(国史大系)には,駅馬は10疋,伝馬は5疋とある郷域は新田町市野井付近という説もあるが定かではない...

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駅家郷(古代)
 平安期に見える郷名...

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駅家郷(古代)
平安期に見える郷名「和名抄」摂津国豊島【てしま】郡八郷の1つ高山寺本に当郷名は見えないが,駅が置かれたことによって発達した郷と考えられる「延喜式」巻28の諸国駅伝馬の条に「摂津国駅〈草野,須磨各十三疋……〉」と見えるなお,「和名抄」高山寺本駅名には,畿内駅として「草部〈須々木〉」とあるまた,承平年間頃から藤原純友が官物を略奪するなど反乱を起こしており,天慶2年12月26日には,「摂津国須岐駅」において,備前介・藤原子高が純友軍に囲まれて合戦になっている(日本紀略)純友追討記が「扶桑略記」同3年11月21日条に収められているが,同書には「莬原郡須岐駅」とある郷域は,現在の箕面【みのお】市の東坊島【ひがしぼうしま】・西坊島・如意谷【によいだに】・石丸・外院・芝などの付近一帯に比定される(箕面市史)当郷は,中世における萱野【かやの】郷に継承される...

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駅家郷(古代)
平安期に見える郷名「和名抄」摂津国西成【にしなり】郡十二郷の1つ当郷名は,高山寺本には見えない家とも書き(和名抄),はゆま(駅馬)ともいう延暦2年6月17日付の太政官牒に「寺家荘壱区地玖段……在摂津国西成郡江北,今置駅家」と見える(東南院文書/平遺1)「地名辞書」によれば,当郷内に,郡家の水駅があり,北渡辺と称された地であるというなお,「令義解」巻8の厩牧令に,「水駅不配馬処,量閑繁,駅別置船四隻以下,二隻以上」と規定されており,当郷は,難波堀江の渡戸であったと推定される(地名辞書)また,「万葉集」巻11に「駅路【はゆまじ】に引舟渡し直乗に妹は心に乗りにけるかも」と詠まれている当郷は,郡家があったと推定される同郡郡家郷(現北区)に隣接していたと考えられ,現在の大阪市北区の天満付近と推定されるが,詳細は不明...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

駅家郷(古代)
平安期に見える郷名「和名抄」長門【ながと】国厚狭【あさ】郡九郷の1つ高山寺本には見えない駅家郷は,東急本では,周防【すおう】国の玖珂【くが】・熊毛・都濃【つの】の各郡と,長門国の厚狭・豊浦・美祢【みね】・大津・阿武【あぶ】の5郡全部に存在するが,高山寺本では,周防長門両国とも,駅家郷を全く記していないさらに,東急本では,長門国の厚狭郡と大津郡に「二処,神戸,駅家」と3郷が全く同じ順序で記載してあり,阿武郡では「神戸,駅家」と連続して記していることからみると,これらの駅家郷が実在したかどうか不明である厚狭郡の駅家郷について,「地名辞書」と「地名淵鑑」には記載がないが,「地理志料」では,厚狭郡の3駅家のうち埴生【はぶ】駅家がいまの山陽町埴生にあったとして,埴生・埴生浦・津布田・福田・中村・山野井・山川の現山陽町全域にわたるとしている...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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