ケータイ辞書JLogosロゴ 浦村(近世)


愛知県>田原町

 江戸期〜明治22年の村名。渥美郡のうち。田原藩領。村高は,「寛永高附」「元禄郷帳」ともに365石余,「天保郷帳」885石余,「旧高旧領」1,185石余。元禄9年の浦村沖新田と青尾新田の開発は,浦村百姓が主体となった大干拓工事であった。天保3年の「地方秘録」によれば,家数260・人数1,331,田25町余・畑14町余,舟8艘,磯運上として串浅蜊250連,衝網運上として白鴨33羽代永3貫文余。八幡社は,関ケ原の戦の落武者集団がその始祖を祀ったことと関係するとも伝える。笠山の雷電社は,少しでも空に近い場所で雨乞の祈願を成就するために設置したという。天正10年開山の曹洞宗西光院の本堂は,元和2年の建造,地蔵堂はのち随応院となる。文政年間浦村と吉胡村との間に土地境界の争論が起こり,田原藩の裁決で敗れた浦村の庄屋藤兵衛は,その責任を感じて切腹した。これが原因で,両村の間には不和が長く続いたという。浄土真宗本願寺妙好人として有名な鈴木その女は当村の出身で,彼女が実家の浦村八木家で産んだのが渡辺崋山の門弟で,高名な蘭方医・西洋兵学の翻訳者であり,号を童浦と称した鈴木春山。明治22年童浦村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355024
最終更新日:2009-03-01




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