ケータイ辞書JLogosロゴ 小杁村(近世)


愛知県>江南市

 江戸期〜明治22年の村名。尾張国葉栗郡のうち。尾張藩領。北方代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに250石余,「旧高旧領」181石余。「寛文覚書」によれば,本田は概高174石余・反別45町余,ほかに天水場の新田2町余と松苗植場1町余・堤外見取場10町余があり,家数81・人数472,馬17。天保年間の村絵図によると,給知103石余,蔵入地70石余。熊野権現・富士浅間・八幡がある。このうち熊野権現は古く魚入天神社と称していた。天保年間の村絵図には,八幡社西隣に臨済宗文永寺が見える。「尾張名所図会」によると,同寺は,古代当村が禁裏供御料であった頃の徴税官吏宿舎に創建され,その跡として真名代塚があったという。境内には稲荷社があった。このほか薬師堂もあった。なお当村は,木曽川堤利用に対する柳・枯草代銀や木留船2のつなぎ銭を負担。また大水の時は般若村杁場へ人足を出した。枝郷に一色・林・木下がある。明治22年小草鹿【おそしか】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355130
最終更新日:2009-03-01




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