ケータイ辞書JLogosロゴ 追分村(近世)


愛知県>大府市

 江戸期〜明治9年の村名。尾張国知多郡のうち。尾張藩領。鳴海代官所支配。村高は,慶長検地,「寛文郷帳」ともに182石余,「天保郷帳」187石余,「旧高旧領」260石余。なお,「旧高旧領」には別に横根追分村として2石余が記される。追分・横根両村の開発地であろう。「寛文覚書」では本田概高206石余,家数8・人数50,牛馬4。「徇行記」では,全村蔵入地,戸数40・人数202,馬4・牛1。名和村・大高村方面へ出作する者が多い。大通行の時は鳴海宿へ人馬を出す。天保12年の村絵図には,伊右衛門新田境寄りに古城跡畑・城之腰田などの地名が見え,「徇行記」に「覚書ニ古城跡一ケ所,城主不知今ハ畠トナル」,「張州雑志」に「村ヨリ北今土居ノ跡僅ニ残レリ,古城志曰ク知多郡追分邑城墟僅ニ存未詳何人之城墟」とある。永禄2年の創建と伝えられる曹洞宗浄通寺(現浄通院)がある。神社は,弁財天社・鎮守社・秋葉社・行者堂・藤井大明神(天保12年村絵図)。明治9年共和村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355132
最終更新日:2009-03-01




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