ケータイ辞書JLogosロゴ 大岡村(近世)


愛知県>安城市

 江戸期〜明治22年の村名。碧海郡のうち。白山社領。「寛永高附」では山崎村に含まれていて大岡村の名は見えない。ただし,現地では大岡の名はその以前からあり,天正17年の御縄打歩測御帳の表紙には「三州碧海郡平田庄大岡」と記され,慶長9年の検地帳表紙には「三州碧海郡白山領大岡村検地帳」と記される。中世末期〜近世初頭の大岡と山崎の関係は不明の点が多いが,古代・中世の大岡郷は広い区域に及び,近世の山崎村を包含するものであったろう。そのなかで本願寺道場,のちの山崎正法寺の活動が盛んになり,門徒の集落と領有地が山崎と呼ばれ,中世末期には白山社領のみが大岡と呼ばれるに至ったのではなかろうか。村高は,慶長9年検地帳,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに138石余。慶長9年検地帳では名請人31,うち屋敷持ちは17。享保年間堀尾孫兵衛は江戸へ出て医術を学び,帰郷して医業を開いた。以後現在まで9代続く。白山社には元禄9年の銘の湯立釜がある。同社の10月19日の祭礼は有名で,近郷村々から馬を引いて参列する習わしがあり,境内で駆馬が催された。明治5年義校が開かれ,高木村・山崎村も学区に含めた。同7年同校は大岡学校となる。明治22年平貴村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355170
最終更新日:2009-03-01




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