大久保村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。渥美郡のうち。田原藩領。村高は,「寛永高附」「元禄郷帳」ともに690石余,「天保郷帳」970石余,「旧高旧領」981石余。天保3年の「地方秘録」によれば,大久保村敷地・大久保浅場村・大久保門前村・大久保東村の4か村に分かれ,4か村の合計で,田34町余・畑40町余,家数102・人数461。また,寛文13年に田原新町の渥美善左衛門が当村の南端に開発した極楽新田は,田畑7町8反・61石余,家数20・人数110。神明社・八王子社・八幡社が森下にあり,当村の中心をなす南浅場に埴安の神が祭祀されていた。長興寺には藤原期の鉈彫り観世音立像と戸田家代々の墓所がある。また,字黒河原の原池の一帯は幕末田原藩の実弾射撃訓練に利用され,土塁の跡が残る。明治22年野田村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355215
最終更新日:2009-03-01