ケータイ辞書JLogosロゴ 大代村(近世)


愛知県>額田町

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ三河国宝飯【ほい】郡,寛永15年からは額田郡のうち。はじめ作手【つくで】藩領,慶長15年幕府領,天和元年志摩鳥羽藩領,享保10年幕府領,安永元年からは西大平藩領。慶長9年検地帳には「宝飯郡大代村」とあり,総分米156石余,田10町余・畑2町余,名請人23人。村高は,「寛永高附」156石余,「元禄郷帳」170石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに172石余。助郷は享保5年より赤坂宿の大助郷を勤める。延享3年の家数10・人数57,馬1。宝暦4年の家数22・人数92,馬5。嘉永3年の家数33,うち老人足弱8,人数162(村差出帳)。寺社は曹洞宗玉泉寺,牛頭天王宮(須佐之男神社ともいう),大明神(六所神社),地蔵堂がある。延享3年・宝暦4年の村差出帳によれば,山方の村で水損所,石砂交りの場所だが茶を少々作る。猪・鹿が多く猟鉄炮2挺を持ち運上銭永50文,山手米2石余,農間稼ぎは男は薪木売り,女は落葉を拾う。秣場は河辺村・栃原村・中金村との4か村入会地。山論も多く,貞享4年には萩村と組んで中金村・栃原村と争い,元禄4年萩村,文政11年河辺村・栃原村と争った。明治7年の戸数38,うち炭焼4・水車1・牛馬商2,人口147,馬6・牛27(宮崎村誌・額田郡誌)。学校は明治7年正泉寺に仮教場を創立,同9年雨山へ移る。同22年宮崎村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355255
最終更新日:2009-03-01




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