ケータイ辞書JLogosロゴ 大谷村(近世)


愛知県>常滑市

 江戸期〜明治11年の村名。尾張国知多郡のうち。尾張藩領。横須賀代官所支配。村高は,「寛文郷帳」456石余,「天保郷帳」485石余,「旧高旧領」738石余。「寛文覚書」によれば,本田の概高662石余・新田の概高4石余,合計666石余,反別は37町余(田32町余・畑5町余),家数85・人数426,牛馬36。「徇行記」によれば,全村蔵入地,戸数192・人数850,牛馬15,酒屋のほかは農家。小農が多く,年中黒鍬稼ぎに80人ほど河内方面に出て農業の妨げとなるほどであった。鍛冶工も3人おり三河方面に細工にでている。酒屋は大岩家。村社の八幡社は康正3年の勧請といわれる(常滑市誌)。祭礼には山車が2台出る。浜条地区の蓮莱車は,天保11年の御山車目録によると旧山車を大足村へ売却して新山車を造った記録があり(沢田家文書),その彫刻は天保13年の作である。また奥条地区の東桜車も明治初期に布土村へ売却したと伝えられる。曹洞宗玉泉寺は弘治2年,同来応寺は天正10年,同曹源寺は天文3年以前の創建と伝える。明治6年大谷学校設立。同11年三谷村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355285
最終更新日:2009-03-01




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