ケータイ辞書JLogosロゴ 大塚郷(中世)


愛知県>蒲郡市

 戦国期に見える郷名。宝飯郡のうち。連歌師宗牧の「東国紀行」に,天文13年12月10日西郡を出立した宗牧が「大塚といふ里」を通過するにあたって,岩瀬式部方へ案内を通じている(群書18)。これ以前から岩瀬氏が大塚に居城していた。永禄4,5年と推定される4月晦日の岩瀬吉右衛門宛松平元康判物写によると,元康に味方したので「大塚之郷一円」を出置くとあり,9月5日の同人宛元康書状写は大塚における敵方との戦闘の忠節を賞している(譜牒余録/岡崎市史6)。ところが永禄5年9月22日に今川方の牧野氏によって大塚城は落とされ(三川古文書永禄5年9月28日今川氏真感状写/豊橋市史5),一族の岩瀬彦三郎が今川氏真に命ぜられて守備にあたった(譜牒余録永禄6年2月21日今川氏真朱印状写/岡崎市史6)。同6年5月28日には岩瀬河内守が大塚での忠節によって氏真から蒲郷(遠江であろう)の100貫文を宛行われた(譜牒余録/同前)。同7年松平家康は東三河へ本格的に進出し,同年5月14日河内守は家康に属して「大墳之郷一円ニ浦山役所并屋敷共」を安堵された(同前)。天正18年3月19日の岩瀬河内守宛知行書立写には「大塚之郷一円」の1,243俵2升6合7夕7才が岩瀬氏知行とされている(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355307
最終更新日:2009-03-01




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